■平凡なサラリーマンから馬券生活者へのプロローグ

耳の奥に残るシンザンの名前、そしてハイセイコーによって競馬というものの存在を知り、その後TTGによって競馬の凄さを教えられてから、かれこれ30数年。

その間に積み上げられた数々の屍馬券の山・・・も「馬券の鉄人」歴史の1ページです。

某外国語大学を卒業後、7年前までは極めて平凡なサラリーマン稼業に人生の多くを費やしてきた石を投げれば当たるような何処にでもいる普通の人間でした。

ところが、絵に描いたような「人生一寸先は闇」に直面したのが40代半ばでした。

海外関連業務の部署を預かっていた私に突然の解雇通告・・・俗に言う「リストラ」によって収入の道を断たれてしまったのです。

もちろん私に仕事上の落ち度等は無く、一緒にリストラにあった部下も放ってはおけずに不当解雇として裁判において会社と戦う道を選びました。

先ずはどうやって家族を養えばよいのか、まさに人生の崖淵に立たされていました。

裁判をするには着手金をも含めた弁護士費用も用意せねばなりませんでした。

それには片手ほどの額が必要でした。

その後、裁判は私達家族を光の見えない世界に閉じ込めてしまいました。

詳細については省略させて頂きますが、因みに、裁判は7回出された判決で全て全面勝利なった事だけは付け加えさせて頂く事と致します。

昼間は流れる雲を見上げ、夜は星を数えながら時間だけが過ぎて行きました。

そんな八方塞がりの時、皐月賞惜敗の悔しさを晴らすが如く、ダービーで大外一気の差し脚でゴールを駆け抜けたタニノギムレットの姿を見た瞬間に脳裏に稲妻のような光が走りました。

この時私の頭に差した一筋の光とは、「競馬だ・・・。こうなったら競馬しかない・・・」でした。

今から思い起こせば切羽詰った中でのワラをも掴む思いが生んだ逆転の閃き、発想でした。

大好きな馬が送ってくれたメッセージであり、助け舟だったのだと思います。

競馬のおかげで今までどれほど不意の出費に対し救われた事でしょうか・・・。

巷ではいささか不謹慎な考えにも見えますが、何処を見ても道がなかった私にとっての光は馬以外にはありませんでした。

「同じ首を括らねばならないのなら、死ぬのなら・・・やってみよう」と。

折りしもそんな私に一筋の光を与えてくれたのが衛星放送で放映されている稀に見る某レース分析専門番組でした。

それまでは何気なく他人事のようにレベルの高い番組構成に感心しながらも、一人の視聴者として漫然と見ていた私が個々の馬のデータとして形にする事に専念するようにリセットさせてくれました。

その効果は半年程で現れ始め、結果として最初の年は回収率も300%強にまで伸ばす事に成功しました。


もちろん長い競馬歴でも初めての経験でした。

この発想の転換こそが私のこれまでの競馬観をも変え、生活費は言うに及ばず長男と長女の教育資金も捻出することも出来ました。

馬が好きで見続けてきた競馬でしたが、人生の破滅的な危機を救い、私達家族のために走ってくれた馬達に心から感謝しています。

このような経験を経て、いつも悲哀を味わうサラリーマン生活には見切りをつけての馬券生活者となり現在に至っています。

人はよくプロ馬券師という言葉を使いますが、馬券購入者にプロも素人も無いと考えます。

加えて、私はこの「プロ馬券師」という傲慢に満ちた言葉が大嫌いです。

上手いか下手か、或いは儲けるか損するかの違いはあっても万人に同じ条件で販売される馬券にプロも素人も無いからです。

そして世間では多くの競馬情報が蔓延しています。

のん気なサラリーマン時代には多くのガセネタを掴まされた事もありましたが、競馬を投資と考えてからはひたすら馬券というものの本質を突き詰めるべく自分なりにデータを重ねるだけに留まらず改良も施してきました。

競馬である種の確信を掴む事が可能になった2年程前にサイトを立ち上げ、殆どボランティア精神で自分の虎の巻である馬データの配信を始めたのが約1年半前。

その間、多くの会員の方々から予想をして欲しいとのリクエストを受けました。
しかし、馬券は自助努力あってこその考えから固辞してまいりましたが、昨年収支が1700%を超えるに至って少し考えが変わりました。

競馬はそれに関る人間と馬との相関関係に加えて自然条件等のあらゆる不確定要素で成り立っています。

決してコンピューターがはじき出した数値や人間が主観的に打ち込んだデータ指数では答えは出ません。

勝ち馬投票には近道など絶対に存在せず、日々レースを見続ける事と地道なデータの蓄積と分析以外に方法はありません。

崖っぷちの人生の8年間に学んだ馬券術を世に出しても恥ずかしくないとの考えから、この度満を持して競馬予想のフィールドへランクアップを目指しました。